決定論 才能が無いなら努力してもムダ?

決定論 才能が無いなら努力してもムダ?

決定論者は、成功出来ない

成功出来ない人というのは、立てた目標を達成したときに手に入るすばらしい未来や、メリットだけしか考えない人だ。

 

ちょっと頑張れば、そのすばらしい未来やメリットが手に入ると甘く考えていて、困難を乗り越えるための準備や、努力し続ける根気に欠けている

 

なので目標達成のために、一歩踏み出したとしても、何かあるとすぐに立ち止まり、気晴らしにふけったり、回避行動を始める。

 

一方、成功する人というのは、目標達成で得られるモノと、そこに到達するまでの苦難を、天秤に掛けた上で実行する人だ。

 

さらに当初の大目標達成が難くても、何らかの成功があれば良しと考え、根気よく努力をし続けられる人だ。

 

つまり、当初の目的が達成されなくても、別に得るものが色々ありそう…と言う風に努力を続けるわけだな。

 

こういう風に2タイプに分かれる原因の一つは、才能と努力に対する考え方の違いにあるという。

 

つまり、失敗する人というのは、「才能がないことは、努力してもムダだ」と思っている人らしい。

 

ちょっとやってみて、うまく行かなければ、自分には才能が無いと思って、そこで努力を止めてしまうのだという。

 

こういうタイプの人を「決定論者」と呼ぶ。

 

彼らは、人間の才能は生まれつき決まっていて、才能が無い分野は、いくらどうあがいても上達できないと考えるのだという。

 

勉強ができない小中学生が、よく言う言い訳みたいだけどね。

 



才能が無いことは、やってもムダ

成功する人というのは「才能が無くても、努力し続けていれば、それなりに上達することができる」と考えている。

 

大目標が達成出来なくても、努力の過程で何かつかめれば、失敗しても価値があると考える。

 

一方、成功出来ない人というのは、「才能が無いことは、やってもムダだ」と言う風に考えている。

 

ちょっとやってみて、上手くできないのであれば、才能が無いから努力する価値はないと考える。

 

こういう考え方を「決定論」という。

 

決定論者は、自分が苦手なことは、才能が無いから出来ないのだと考え、できるようになるための努力を拒否する。

 

成功するかどうかは、既に決まっており、やってもできないなら、失敗に決まっていると考える。

 

その替わりに、自分の得意分野で、「自分はできる」ということを、他人に知らせることに熱心になる。

 

得意な分野に関しては、努力も苦にならないから、そこで自分のアイデンティティを築こうとする。

 

小学校高学年くらいから、こういうタイプの子供はけっこういる。

 

勉強みたいな面倒なことは、他人に任せれば良いと思っていて、自分は好きなことだけをやっている

 

しかしそういう態度だと、社会に出たときに必要な知識や能力、忍耐力などは全く付かないから、どんどんデキない人間になって行きかねない。

 


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